ナンシー・K・シュロスバーグ(Nancy K. Schlossberg)は、「転機(トランジション)の理論」を提唱し、人々のキャリアや人生に寄り添い続けたアメリカの心理学者・キャリア理論家です。1929年生まれの彼女は、成人発達とキャリアカウンセリングの分野で先駆的な役割を果たし、特に人生の「変わり目」に直面する人々への具体的な支援方法として「4Sモデル」を体系化しました。

彼女の理論が多くの人々に支持され、今なお活用され続けているのは、その理論が彼女自身の実践的な経験と、多くの人々の人生への深い洞察に裏打ちされているからです。本記事では、シュロスバーグの歩みと、その人となりが垣間見えるエピソードを通じて、彼女が私たちに残したメッセージを読み解いていきます。


🎓 変化と成長の道を歩んだ研究者キャリア

シュロスバーグの経歴を辿ると、彼女自身がキャリアにおけるさまざまな「転機」を乗り越え、自己を形成してきたことが分かります。

実践に強い理論家としての土台

シュロスバーグは、コロンビア大学で教育学の学位を取得し、キャリア開発の大家であるドナルド・スーパーのもとで学びました。これが彼女の理論的な土台となります。しかし、彼女の学問は、単なる机上の空論に留まりませんでした。

  • 大学での教育と実践: 1963年から1973年にかけて、ウェイン州立大学でカウンセリングの教授・准教授として教鞭をとり、この間に多くの学生の心理やキャリアに触れ、その経験が後の理論の土台となったとされています。
  • 女性のキャリア支援への貢献: 1973年から1974年には、アメリカ教育評議会の高等教育における女性事務局のディレクターにも就任しています。これは、彼女がキャリア支援、特に女性のキャリア形成という当時の社会的な課題に積極的に取り組んでいたことを示しています。彼女が女性研究者としてキャリア支援の先駆的な理論を築いた背景には、このような実践と社会貢献への強い意識があったと言えるでしょう。

メリーランド大学での22年間

その後、シュロスバーグは、22年にもわたってメリーランド大学カレッジパーク校の教育学部でカウンセリングおよび人事サービスの教授として活躍しました。最終的には名誉教授となり、全米キャリア開発協会(NCDA)の会長も務めるなど、キャリア理論家として確固たる地位を築きました。

彼女は、大学教授として活躍しながら、多くの人の人生の「変わり目」に理論で寄り添ってきた人物であり、その活動から「実践に強い理論家」として知られています。


🤔 理論の根底にある「個の転機」への深い共感

シュロスバーグの理論の最も重要な特徴は、「転機」を個人の人生における独自の出来事として捉え、それにどう対処するかというプロセスに焦点を当てた点です。

「誰もが共通に遭遇する出来事ではない」という視点

従来のキャリア発達理論では、特定の年齢段階やライフステージに共通する課題や移行期があるという見方が主流でした。しかし、シュロスバーグは、「転機や変化は決して予測できるものでも、人生途上で誰もが共通して遭遇する出来事でもない」と強調しました。

彼女の理論における「転機(トランジション)」とは、

  • 役割(例:親になる/課長になれない)
  • 関係(例:友達が増える/親と別れる)
  • 日常生活(例:育児開始/仕事に就けない)
  • 自分自身に対する見方(自己概念)

の4つのうち1つ以上が変化すること、または期待した変化が起こらないこと(ノンイベント)として定義されます。

この定義は、一人ひとりの人生はユニークであり、その人にとって何が「転機」となるかは全く異なるという、彼女の個人に対する深い敬意と洞察を示しています。たとえば、誰かにとっては些細な出来事でも、その人にとっては人生を左右する大きな転機になり得るのです。

「受け止め方」と「対処」に焦点を当てる人となり

シュロスバーグは、「出来事そのものではなく、それをどう受け取るか、それにどう対処していくかであることを強調」しました。同じ転機が起きたとしても、人によってリアクションは全く違います。この違いを生むのが、彼女が提唱した「4Sモデル」で点検する内的資源(リソース)です。

4Sモデルとは、転機を乗り越える力を以下の4つの視点から客観的に整理するものです。

  1. Situation(状況):何が起きたのか? どんな変化があるのか?
  2. Self(自己):自分はどんな人間か? どのように反応する傾向があるか?
  3. Support(支援):周囲からどんなサポートが得られるか?
  4. Strategies(戦略):どのような対処行動を取るか?

このモデルは、転機に直面した際に「自分は大丈夫だろうか?」という不安に対して、「自分」はどうか?「他者」はどうか?という多角的な視点を提供します。

  • 「自分」の中に、人生全体を「肯定的に」見通す力、人生を変えられるという信念、転機の対処に役立つ知識やスキル、転機を乗り越えた過去の経験・体験といったリソースがあるかを問いかけます。
  • 「他者」の中に、人間関係、励まし、情報、実質的な援助といったサポートがあるかを見極めます。

彼女の人となりは、まさにこの「4Sモデル」に凝縮されていると言えるでしょう。それは、人々の「弱さ」を否定せず、その人が持つ「強さ(リソース)」を客観的に見極め、それを活用する「戦略」を立てることで、主体的な人生の再構築を支援したいという、温かくも実践的な姿勢です。


🌱 転機を「成長のきっかけ」と捉える前向きさ

シュロスバーグの理論が最も感動的なのは、その前向きな視点です。

彼女は、転機を乗り越えるためのプロセスを理解することに焦点を当てていますが、その目的は、単に困難を回避することではありません。

「転機は恐れるものではなく、成長のきっかけである」というのが、シュロスバーグ理論の本質です。

彼女は、転機に直面したときに「何が終わったか」ではなく、「これから何が始まるか」に目を向けることこそが、人生を前向きに再構築する第一歩であると説きました。

予期せぬ出来事や、期待していたことが起こらなかった「ノンイベント型」の転機は、時に人を深く混乱させ、喪失感や否認、空虚感をもたらします。しかし、彼女は、そうした転機のプロセスを客観的に把握し、自身の内的なリソースと外部からの支援を点検し、対処戦略を練ることで、人々が変化を受容し、新たな挑戦に取り組むことができると信じました。

彼女自身のキャリアが、大学での教育、女性支援、そしてキャリア理論の体系化という、時代の変化に応じた「転機」と「成長」の連続であったように、彼女は理論を通じて、変化とともに生きる姿勢の重要性を私たちに伝え続けているのです。

ナンシー・K・シュロスバーグの人生と理論は、「人生は転機の連続であり、その一つ一つを乗り越える努力と工夫を通して、キャリアは形成されていく」という力強いメッセージを、今を生きる私たちに送っています。彼女の人となりは、単なる学者というより、人生という旅路において、人々の背中をそっと押し、その足元を照らしてくれる賢明なガイドのような存在であったと言えるでしょう。

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